ドイツでずっと暮らす

ドイツ移住の10年先、20年先を考える。



ベルリンの変化を感じるあれこれ

私はずっとベルリンで暮らしていたのですが訳あって今年になり他の小さな町に引っ越しました。引っ越しというのは面白いもので以前暮らしていた街と今の街を比べる、という心理が働くものです。

ベルリンではもうウン何年と暮らしていたのでたまにこの年数にビビります。そしてベルリンの変化の速度があまりにも速すぎて、こちらもビビります。つい最近まで空き地、廃墟だったのが半年もすればラグジュアリーな高級マンションが建っていてあっちこっちではショッピングモールが建ち並んでいます。私が移住したてのころはAlexanderplatzのALEXAというショッピングモールが唯一の巨大モールでした。今はビキニやらなんやらと本当に信じられ無い数のショッピングモールが建っているのに驚き、人々の服装が小綺麗になったのに驚き、飲み屋が連立していてガヤガヤして週末はシャブ中だのアル中だの娼婦だのとカオスだった通りはすっかりシーンと寝静まっているその様子は本当にここはベルリンなのか...と驚きを隠せません。そして何よりも私たちの自由の砦だったタハレスの建物にクレーン車が入り大きなユンボでタハレスの壁をぶち壊している姿は、まるで私の体と心を資本主義が容赦なく切り刻む痛みを覚えたものです。

 

タハレスだけでなくFreidrichshainのとある川辺には資本主義と戦う人々が作ったコミューンがありました。ドキュメンタリー映画にもなるほどで、たまに警察と衝突したり話題にあがることが良くあったのですが、彼らは今頃どうしているのでしょうか。こないだ前を通りかかった時は規模が縮小されたのかスクワットをする人々が減ったのか、人々の声や姿も見えずにただのゴミの山のようでもありました。こういうスクワットはベルリンのあちこちでよく見られました。空き地や廃墟に皆それぞれ勝手に集まり友達になり、気が付いたらどこかへ旅立って居なくなる、みたいな生き方をしている人たち。本当に好きなように生きる、ということの見本のような人々でした。彼らの生計がどのように成り立っているのかはブラックホールなみの不思議とも言えます。しかしそれも彼らの一つの魅力であり、その反面では資本主義社会の犠牲者とも言えます。ベルリンの壁が崩壊すると同時に資本主義が入ってきて、それをよく表しているストリートアートがちょうどこのスクワットの近くにあります。

https://goo.gl/images/3F4QyH

 

ベルリンには自由がありました。誰がなにをしていようと、シャブ中だろうがアル中だろうが、どんな生き方をしていようがそれを注意したり、干渉する人はほとんど居ませんでした。逆にオルタナティブで刺激的な人生を生きている人の方に魅力を感じる人々が集まっていたのかもしれません。そこには生きるという本質とはどういうことなのかということが詰まっていると私は思うのです。人間の自主性とは自分で気がつかないと何にも成らないので...今のベルリンの姿には時々失恋のような悲しみが湧き上がります。スマホゾンビにノマドな人たち。彼らのことを批判するわけではないけれど、彼らがネットで口々で言う、クールな生き方は生ぬくるて仕方がないのです。どこからか引っ張りだしてきたような言葉や表現にはリアルが全く反映されてなく、ファストファッションのようにクールでオルタナティブがプリントされているだけのような生き方。そんな人々がベルリンの街を変えていき、資本や物質で満たされる人々が我が物顔で自分達の税金で街が綺麗になったと言うのです。私たちは綺麗な街など望んでません。ただそこに、私が見つけた自分という生き方とそのための自由があるかどうかだけ。ベルリンが終わった、というのはもうそこには小さな自由がちりばめられていてそれらは誰かの自己啓示欲を飾るアクセサリーのような自由。それでもきっとわずかながらクリエイティブな影響もあってかベルリン自体はそうそう他のドイツの街のようになることはまず無いとは感じます。しかしそのクリエイティブの源泉が失われてしまったベルリンの街に期待することはもう無いかな、と個人的に思います。そんな中で私自身も自分の人生を街に依存し無いという意味では良い試練でもあるのです。