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ドイツでずっと暮らす

ドイツ移住の10年先、20年先を考える。



ずっと暮らすということはずっと生きるということ

私の年齢は34歳なのですが、毎日のように死ぬことについて考えます。それは夫や飼っている犬の寿命のことや、自分が死ぬことを考えるのです。夫や犬が死んでしまったらとても悲しくて立ち直れる自信がないけれど、自分が死ぬのはまた違う次元の問題です。

 

20代の頃はいろいろと迷いがあったので、どうやって生きていこうか、という問題が解決できませんでした。けれど28歳のときにベルリンへ渡ってから何度かくじけそうになった事はありましたが、それでもなんだかんだ芸術家を続けています。東京で暮らしていたときに数年のブランクはありますが、それを除けばほとんどの時間をアートに費やしています。それが金銭的な価値に置き換えられているかどうかは置いといて...

 

私がアーティストとして成功しているかどうか、というのはそれぞれの判断基準によります。例えば私のお父さんからしてみれば、収入が不安定でほとんどが赤字のフリーランス業みたいなものなので成功しているようには映りません。けれど私のマネージャーや夫は、私が作り上げるアートの世界を一番近くで見ている人なので、私のアートは成功している、と言ってくれます。その理由は毎日、アートのことだけを考えれば良い生活を送っているということ。

 

先日、私の作品に新しいお客さんと値段がつきました。作品が未完成だったのにもかかわらず値段がついたこと、その値段に私が納得できなかったこと、その交渉をしたマネージャーが思ってた以上に私のことを理解していなかったこと、この3つの点が納得できずに私は怒り狂いました。数時間フツフツと怒りと向き合ったり、完成させたくない!と反抗期みたいな態度を出したりしたあげくに、収集つかなくなった感情はとうとう破壊行為へ向けられました。3つも私の納得ができない事柄、その根本がこの作品にあるのなら壊してしまおう。お客さんへの説明はマネージャーの仕事です。私も悪いので説明するべきでしょうが...悩みどころです...しかし本当の地獄はここからが本番でした。壊れた作品、怒りの心境、それらを全てなかったことにはできないのです。そこから何かを一つでも良いから汲み上げて次へつなげないと何にもならない、ということを知っているだけに次へ進むためには、深く負った傷にとても痛い消毒スプレーをかけて手当てをする段階が一番辛いのです。怒り狂ったので3日間ほど鬱々と過ごし頭が四六時中ぼーっとして何もする気が起きませんでした。しかも壊した作品はシリーズモノだったので次にかかる予定の作品がいくつもあり、それらを考えるだけでイライラしてアトリエに座り続けることすらできませんでした。アートが私をイライラさせるのです。

 

そんな怒りと鬱から抜け出すのを手助けしてくれたのも、アートでした。美術館の売店へ画集を買いに行ったときに現れた様々な美術品たち、いろんなところで模様されている現代作家の展示会...私はこんなちっぽけなことでつまずいている暇は無いのだと、他人の作品を通して自分自身を見つめ直すことができたのです。それでも天邪鬼なのでずっとイヤイヤを繰り返していましたが、自分のアトリエをふと観察していたときに気がついたのです。私は、ずっとこうやって生きていくんだな、ということに。

 

私の職業は寝ても覚めてもずっとアート漬けです。だからたまにお医者さんが必要なときがあります。だから私は毎日、私はいつ死ぬのだろう?と考えてしまいます。私の仕事には定年もなければアフターファイブもありません。

 

ゲルハルト リヒターという億万長者のドイツ人アーティストが居ます。彼が触ったモノ全てが高額で取引される、と揶揄されるほどの人です。私にはリヒターの心の叫びが聞こえてきます。辞めたいのに、辞めれない。アートはシャブ中みたいだ。と。

 

アーティストとして暮らすということは、死ぬまでずっとこうやって生きることなのです。