ドイツでずっと暮らす

ドイツ移住の10年先、20年先を考える。



北京のはなし

 

私が初めて北京へ旅行したのはちょうど2000年になる年末年始のことだった。当時私の父が北京で仕事をしていたので年末年始の出張に連れて行ってもらった。その時の中国はまだまだ経済的にも大成しておらず、道の整備はおろかかろうじて営業している百貨店でさえ電灯が薄暗かったのを覚えている。これが中国の首都、北京なのかと初めての海外旅行にしてはニッチな体験をしたと思う。色々と面白いエピソードがある中、印象に残った話をいくつか書いていこうと思う。

記憶に一番残っているのはやはり物乞いだ。幼子を連れた仙人のような出で立ちのおじいちゃんは私とお父さんを道端で見かけると話しかけるでもなく一緒について歩いていた。二人はなんとも言えない至近距離を保ちながら、同じスピードで歩幅を合わせながら私と父と一緒に歩いていたのである。私は日本で物乞いを知ってはいたが、道端でじっとしている人しか見たことが無かったので仙人と幼子が物乞いだということに気がつかなかった。が、父がこれは物乞いだから無視をしなさいと教えてくれた。彼らが物乞いだということを知ってから私の心の中にはちょっとした恐怖心が芽生えたのを覚えている。物乞いという言葉を聞いて、ドキっとしたのは言うまでもない。そうこうしているうちに仙人と手をつないでいた幼子が父のコートのすそを引っ張るようになった。さらに緊張が増す。しばらく4人で奇妙な体制で歩いていたが、私たちがデパートへ入っていくと仙人と幼子は諦めたのかすっとどこかへ消えていった。物乞いは比較的多く、ホテル周辺にはガム売りもたくさんいた。彼らは一つ10セントもしないガムを売っていて、それで生計を立てている。一度、父がポケットの中に入っているいくらもない小銭を渡し、ガム売りが売っていた全てのガムを買い占めたことがある。そのときのガム売りの表情は今でも忘れられない。きっと1ヶ月分の稼ぎを一瞬で得てしまったのだろう。それでも金額にしてみれば、当時の北京のマクドナルドのハンバーガー1つほどの値段だ。私と父はたまにマクドナルドで食事をしたが、二人分のセットを頼んでも日本円に換算すると100円にもならなかったような記憶がある。貧富の差はもとより、お金の価値がこんなにも違う世界があるということに驚き、そして毎日たった10円を稼ぐのに必死なガム売りや物乞いの姿に心を痛めた。

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写真は2度目の北京訪問時に撮ったもの。多分2005年くらい。

 

お金の価値がこんなにも違うのか、という出来事がもう一つある。ある日、父と取引先の家族とレストランで食事をしたときのことだった。レストランは魚料理が売りのお店で、客層は私たちのような外国人が多かった。値段もマクドナルドやその辺のおかゆ屋さんに0が何個も多いようなお店だった。料理を頼むごとに、コックさんがいちい材料を見せてくれたのが面白かった。何でもちゃんとしたレストランでボッタクリだと言われたりしないように、魚でも野菜でも材料をいちいち見せてこれを今から料理しますからね!という具合である。ウェイターのお兄さんもいちいち食器やお茶を出すのに、カンフーっぽい動きをしたりするのが面白い。吉本のなんとか兄弟っていう芸人さんが得意とするような芸の本場バージョンである。食事を終えたあと、デザートを食べたいと父にわがままを言った私は、このあととんでもないことが起きるとは予想もしなかった。父が取引先の中国人にデザートについて尋ねると、そそくさとコックさんが登場しデザートは普段やっていないから何も出せないが、そこに八百屋があるので果物でも買ってくると言いだしたのである。そこで父がお金をコックさんに渡して、これで買える分だけ買ってきてほしいと頼んだ。しかし八百屋は目と鼻の先にあるというのに、いつまで経ってもコックさんが戻ってこない。どうしたものかと心配しながらもみんなで談笑していたら、コックさんが息を切らして戻って来た。何を買ってきたのか尋ねてみると、なんとリアカーいっぱいにフルーツが積まれていたのである。私と父はりんご一つとかぶどう一房だと想像していたので度肝を抜かれた。コックさんは父が言ったように、買える分だけ買ってきたらこうなった、というのである。私は父に幾ら渡したの?と聞くと多分、5000円くらいと答えた。

その後私は2度ほど中国へ旅行したことがある。初めて訪れたのは2000年で一番最後は2010年だった。2010年の時に尋ねたら、街がいくぶんかマシになって可愛らしいお店ができたり観光客を時々見かけるようになった。中国元の価値も日本とそんなに変わらないようだ。もう5000円でリアカーいっぱいの果物は買えないだろう。

2010年に訪れたときは、タクシーでオリンピック競技場の前を通るたびに運転手がおい、あれを見ろ!あれは俺たちの誇りだ自慢だ、と必ず教えてくれたのを覚えている。最初の1回目はそうなのか、そりゃすごい、と思うが何度も前を通るたびに自慢されるとさすがに鬱陶しいなと感じてしまう。2000年はタクシーは真っ赤な車体が多く(今もかな?)たまにドアがこわれて開かなかったり、窓が思いっきり割れて壊れているのをガムテープが貼られていたり、窓ガラスすらないようなタクシーがほとんどだったのに比べて、2010年に訪れたときは流石にそういったタクシーは見かけなかった。地下鉄も整備されていた。地下は暖かいのか、たまに数匹の野良猫が猫団子になって暖をとっているそばを忙しく行き来する中国人たちはまるで東京のようでもある。地下鉄に乗る際には何故かX線検査を毎度しなければならないのだが、検査する係員など居ない。それなのに律儀にいちいち手荷物をX線に通す北京市民だが、なんのためにX線検査があるのか理解していないのは一目瞭然である。地下鉄はたまに東京のような満員電車になることもあるのだが、それでも杖をついた仙人風のおじいちゃんが乗車してくるとまるでモーゼのように乗客が道を空け、座席に座っている乗客は全員立ち上がり、どうぞどうぞと席を譲るのである。優先席が中国に存在するのかどうかは定かではないが、おじいちゃん一人が乗車するのにこれだけ大騒ぎになるのであれば優先席など必要ないような気もする。

 

最後にいくつか当時の写真を残しておきたい。2000年のときはまだデジカメが普及されておらず写真は多分2005年ごろのもの。

 

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ドイツ移住 成功する人とそうでない人

人生について語るときに成功や失敗という言葉を使うのはあまり好きじゃありませんが、今回は移住の成功と失敗について色々と考えたいと思います。人間の数だけドラマがあり、現実は小説よりも奇なりという言葉があるだけに、移住を失敗、成功したという表現には若干、誤解を招きがちではあります。ここで定義する移住の成功とは、移住の鍵となるビザからはじまり、生業をドイツで長く続けることができる人のことを言い、失敗とは移住を希望するのにも関わらず、帰国しなければならない人のことを指します。しかし移住を失敗したとしても人生はまだまだ続きます。仕方なしに本帰国や他国への引っ越しをしたとしても、それはそれとして大きな経験値を踏んだということには他なりません。その経験を生かすも殺すも、自分次第。

ドイツに暮らす日本人は2016年の統計によると35,000人弱。職業別の内訳がどのようになっているのかはよくわかりませんが、日本人だけでなく色々な国から色々な人々が移住を目的にやってきており、特にベルリンはここ数年でとても人気を博しています。国籍問わずに移住しにやってくる人々を観察してみると、個人としての武器を持っている人が多いように見受けます。昔から音楽や現代アートをする人には根強い人気で、ここ最近はファッションや建築関係が増えたように感じます。それでもベルリンの人の出入りは尋常じゃありません。私が移住した当初に知り合った8割がたの友達は国籍を問わず活動場所の拠点をベルリンから他の街へ変えています。残りの2割は、ベルリンの企業で働いていたり、学業を終えて就職活動をしています。

ドイツでフリーランスとしてやっていくには、まだまだ取り締まりが緩いベルリンは今の所とても良い条件だと言えます。しかし、その規制は徐々に厳しくなっているのが現状と言えるでしょう。

さて本題の日本からドイツへもとよりベルリンへ移住するにあたって、成功している人とそうでない人の違いはどこにあるのでしょうか?

成功している人は日本や母国でそれなりのキャリアを積んできている人が多いようです。例えばイラストレーターや漫画家アシスタントを長年日本で続けながらいつか自立しようしようと思いながらも、アシスタント生活から抜け出せずに居る人や、もう既に日本でフリーランスとして顧客を抱えていて独立している人などなど。しかし近年では日本だけに顧客を抱えたといたとしても、収入によってはビザが下りない場合があるそうです。さらにドイツで顧客を獲得するには、コネが必要になります。そうなると意思疎通ができる語学力とコミュニケーション能力が必要です。フリーランスとして仕事を獲得するためには営業は必須ですが、その方法も様々。しかし一つの共通点は、一生懸命であること、そして自分らしさを見失わないこと、と私は考えています。顧客の獲得について基本的なことはいくつかありますが、結局のところベルリンやドイツではほとんどマニュアルなどはなく自分で工夫するというのが大きな課題とも言えます。

成功していない人は、ノープランや武器になるような職業歴がこれと言ってありません。移住情報が大量にネット上に流れているので、この人が成功したのであれば私も成功できるであろう、という幻想を抱いている人。特に目的やゴールもなく、あったとしてもそれに見合った努力をしていないのでビザすら下りません。実際にフリーランスのビザをもらっても、毎日何をして過ごしているのかよくわからない人たちってたまに見かけます。そういう人たちは、”海外に住めたらなんでもいい”と言います。海外で働きながらそこに住むというのは一つの目的ではあります。しかしそれならワーキングホリデーで充分でしょうし、実際に数年住んだら日本に帰る予定の人も居ます。海外移住はそこに住むことがゴールではなくて、移住先でどのように人生を展開していくか、という方に視点をあてるべきです。

ベルリンのビザが下りやすい理由は、とにかく色々な規定が緩いことです。私が住むザクセン州はフリーランスでも申請する書類や証明書がベルリンの何倍も必要です。その分、認可が降りにくいのはいうまでもありません。ベルリンは壁崩壊の歴史があり、他の州と比べると色々なものが劣っています。なので外国人に対してもビザやフリーランスの許可も下りやすいですが、他の州のように規制や条件がどんどん追加されていくのは時間の問題だと言えるでしょう。

あの人ができたから、私にもできるはず、という思い込みは通用しません。移住した先で何をして過ごし、どうやってお金を稼ぐのかという方に視点をあてることが何よりも大切なことです。実際にネット上には移住成功者たちがたくさん居ますが、その何倍もの人々が声をあげることもなく移住失敗をしているということを忘れてはいけません。

色々な国、そこに住む人、それらの違いを理解するには


人と人がお互いに理解しあうためには、何が必要なのだろうか?同じ環境で暮らしている家族でさえ時にわかりあうことができないこともあれば、国という大きな単位で分かり合えないことも珍しくは無い。その大きな根本には何があるのだろう?と考える機会がたくさんあった。

 

ドイツの選挙があった日にチェコに一泊し次の日にはオーストリアのウィーンに車を走らせた。チェコは本当に面白い国で行くたびに驚かせてくれる。

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ドイツの登山、あれこれ

8月のバカンスは友達を誘ってアルプス山脈の端っこに登山&キャンプ。しかもみっちり10日間。ドイツ人は1週間以上バカンスしないと気が済まない。理想は3週間なんだそう。今回は山友達と一緒だったので宿泊はキャンプ場と山小屋だけ。ここにアウトドアをしない人が加わるとペンションだのホテルだのっていう面倒いことがあるけれど、今回は日頃から野宿で鍛え上がっているメンバーだったので楽チン。

 

行き先はAllgäuというドイツではメジャーな登山エリア。登山だけじゃなくロードバイクや避暑地としても有名。

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バイエルンの3匹の犬

今年の休暇はバイエルン地方の山で10日ほど過ごしました。ドイツとオーストリアとスイスの国境はチロルを筆頭にヨーロッパアルプスとしてとても有名です。去年の2016年にはNebelhornの第3ゴンドラが開通しアルプス登山がもっと人々の身近になりました。ヨーロッパアルプスの地図を見ながら思うのは山が深くてとても素敵な地形をしている割にはところどころ小さな町があって車さえあれば登山口までのアクセスがとても簡単だということ。登山について詳しいことはまた後日まとめて記事にする予定です。

 

今日は今年の休暇で出会ったとても素敵な犬さんたちのエピソード

 

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最初に出会ったのは溺れるように泳ぐ、水泳依存の犬。犬種はジャックラッセルテリア。湖で泳いだり昼寝をして過ごすのが定番のドイツ的夏の過ごし方。私たちも何度も湖で泳ぎました。そのときにとある中年夫婦が連れていた犬が水泳が大好きで大好きで2時間くらいひたすらずっと湖の中で泳いでいるタフな犬だったのです。夫婦が犬と一緒に私たちの側へ現れたとき、すでに犬はクーンクーンという鳴き声で湖に入りたい!と強くアピールしていて、奥さんが犬のリードを離した瞬間に犬は湖へ勢いよくジャンプしました。水泳や水遊びが大好きな犬はそんなに珍しく無いので特に驚きもしなかったのですが、驚いたのはこの犬が泳ぎながら前足でうまい具合に水しぶきを弾きながら遊ぶことでした。水しぶきを前足で作るのがとても上手で、ときには大きなボールのように跳ね上がる水玉を口でガブっと噛み付いたりしながら一人で遊ぶ様子はとても可愛らしいものです。しかし犬は我を忘れてどんどん、どんどん湖の奥へ。あっちへ泳いだりこっちへ泳いだり。決して大きな湖ではないけれど、見ているこちらとしてはあの犬は大丈夫だろうか?と不安になるものです。その場に居合わせたすべての人々の視線が犬へと注目しているのを見ると 心配なのは私だけでは無い様子。あれは遊んでいるだけなのだろうか?それとも溺れていて戻れなくなってしまったのだろうか?と、皆不安げな表情で見守る中、犬は我知らずと泳ぎ回ります。そしてとある青年が犬を湖の真ん中に浮いていた板でできた5畳ほどの小島のようなところへ持ち上げます。板の島の上で見守っていた人々がわらわらと犬に集まり、犬を引きあげるためにちょっとした騒動に。しかし数秒も経たない間に犬はまた水の中へダイブ!そしてまた水しぶきを前足で作りながら泳ぎだしまた。その騒動に気がついた中年夫婦は板の島まで泳ぎ、うちの犬は本当に頭がおかしくて放っておいたら一生泳いでいるやつなので心配しないでくれと説明してくれたそうです。そのあとその夫婦は犬を連れ戻すために湖の中を泳ぐのですが、これがまた犬と人間の追いかけっこが湖の中で繰り広げられていてコメディショーさながら。やっとのこと捕まえた犬はリードに繋がれ一安心。かと思いきや、気が狂ったように湖へダイブしようとリードを引っ張ります。この出来事、こうやって書くとほんの数分のような出来事ですが、実に2時間くらいは経過していて夫婦もさすがにぐったり。彼らはあきらめてピクニックシートを片付けたり着替えをしようと身支度を始めますが、なんせ犬がやたらとリードを強く引っ張るので着替えている夫人がよろけたり、ピクニックシートをぐちゃぐちゃにしてしまったりして、とにかくコントにしか見えませんでした。なかなか大変ですね、と声をかけると夫人は「この犬は本当に変わっていて何度も脱走するし、湖に来ても永遠に泳いでいるから溺れてるって思われてみんなに助けてもらうのは日常茶飯事なのよ。」と言いました。あとから犬の年齢が気になってしまって年齢を聞いておけばよかったと後悔。きっと若い犬で年老いた頃にはそういうヤンチャなことから卒業したりするのかなぁと考えてみたり。

 

今回の旅行で面白い人間と何かハプニングがあったわけでもなく、なぜかずっとこういったキャラの強い犬と出会うことがいくつかありました。長くなってしまったので、他の面白い犬たちについてはまた次の機会に。

ドイツへ移住する人はそれぞれの理由があって日本からドイツへ渡るのだろうけれど、駐在さんや留学生の他にフリーランスや新しい生き方を模索する人にも最近はとても人気である。その理由はベルリンという独特な雰囲気と世界観を持つ街の特徴とも当てはまるであろう。しかしほとんどの人の根本的でかつ共通の移住理由、それは日本での生活が生き辛く感じることがあるからである。こればかりは個人差なのでそう感じないけど海外へ移住した人も中にはもちろんいるだろう。少なくとも私がドイツ移住組としてドイツで出会った人々の9割は日本で人生を全うするのに不安や不満を抱いていたり、満足していないという理由を持つ人だった。何度も言うが個人的な感想であり、私が出会った人という数少ない統計なのでそうじゃない人がいることは大前提である。

 

一番印象に残っているのは同世代の移住者、移住希望者が多いということだった。世代で言えば80年代生まれ。そして離婚を経験している人たちがとても多い。日本で一度結婚をして数年で離婚。その理由は本当に様々だが共通している点が一つ。結婚で幸せになれなかった、ということ。20代の頃に付き合っていた人とゴールインしたももの、仕事や生活を毎日こなしていく中で思ってた以上の達成感や自己満足を得ることができなかったという。そして海外旅行などで外国の文化に触れ、インターネットの普及で海外移住へのハードルが下がり、夫婦の価値観や人生観にズレが生じて離婚。色々な条件が重なった時、彼女彼らは「私はこのままで良いのだろうか?」と自問したときtお「いいえ、このままではきっと後で後悔する」という答えにたどり着いたという。それからは急展開で貯金残高の確認、退職届、離婚、移住、、、、となる。

 

ー私はこのままで良いのだろうか?ーという自問に対しどれくらいの人々が自分らしい答えを導くことができるのだろうか?この問いに正解がないのは一目瞭然だ。なぜなら自分の人生なのだから自分が正解だと思うものを選べばよいのである。しかし人生を生きるというのは酷なもので、個人の人生の中には両親の介護や夫の世話なども含まれているのである。ドイツで暮らしながら思うのは、親の面倒を子供が見るという方程式が人権というか一人の人間の人生を好きなように生きる、という権利の領域からはみ出ているのではないか?と私は常々思うのである。

 

人生を好きなように生きる。これができなければ何も始まらない。そして「好き」という自分の心の声に鈍感な人々が多く、何が好きなのかわからないという不感症丸出しの人も少なくないだろう。彼らが不感症になってしまった原因は様々だ。特に私のような世代の人々は立派に大学を卒業して就職して結婚、出産、マイホーム、孫、みたいな理想とされる人生のマニュアルみたいなのがインプットされているようである。誰かがそうしろ、と命令するわけでもなく。けれど実際に多くの私たち同世代の親たちは正社員、正規雇用じゃないとダメ、みたいな価値観を持つ人がとても多い。実際に安定した収入がないということは日本で暮らしていく上で弱者となる。それゆえに収入=幸福な人生、と思い込みがちだ。けれどそれに対して矛盾を感じ始める人がどんどん出てくる。お金があっても幸せにはなれないのは、今でこそ理解しようと思えば誰でも理解できるし、反論しようと思えばできる。結局のところ、自分自身がこれで良いのだという決定を下すことが何よりも大切なのである。私が言いたいのは、ーこれで良いのだという決定を自分自身で下すことーこれだけである。大切なことで2回書いた。

 

実際に自分で良いという判断を下しても、それについて回るものがとても多い。見栄とか人付き合いとか家族からの批判とか、社会保障を満足に受けることができないとか。社会保障に関しては日本という国はとても劣っている。このテーマは政治的になるのと私の管轄外なのでここでは割愛。自分が下した判断でついて回るもの、経歴や持ち物でその人の価値を測るということとも言える。東京のような大都市で育ったらそうでもないが、田舎や家族単位を異常に大切にする環境で育った人になら理解しやすいだろう。自分がどんな職業に就くか、誰と結婚するか、どこの大学出身かということで人間をランク付けする風潮が強く根付いてる。東大を出たから立派という価値観はさすがに若い人にはこういった価値観はもう無いだろうとは思う。しかし少子高齢の社会となっては若者は常にマイノリティーということを忘れないでほしい。いつまで経っても老害と呼ばれる老人たちの価値観が世間を支配しているようなもの。だからいつまで経っても正規雇用こそが全てのような価値観が蔓延しているのである。

 

海外移住希望者が目先の欲にかられて、色々なことを見落としがちなのが海外へ移住したらかっこいいからという見栄である。最近の移住ブログには見栄満載の意識高い系の勘違いブログが多くて吐き気もするがそういうことは日本でやってろ、といったところだ。 見栄で固めた人生も嘘で固めた人生も結局のところ、それらは全部他人の評価といういつでも風向きが変わるものに翻弄されながら生きなければなら無い。そんな人生、どこに実が成るのだろうか...

 

自分という人間と、その人生。だれかの評価は必ずしも必要ではない。評価というのはただのツールにしかすぎないのである。

 

 

 

とある画家との出会い

私が住んでいる街にはなかなか有名な芸術大学があってそこの卒業生には超有名な億万長者がいっぱいいる。その大学出身の画家さんと出会う、というかナンパする?というかアトリエに押しかける?...という出来事があった。

先日散歩がてら近所をうろうろしていたら芸術家協会とそのアトリエという看板がかかった建物を見かけた。入り口のところに鯖柄の猫が居たので全力でモフモフしていたら、中から数人のアーティストらしき人々が出たり入ったりしていた。彼らはとてもフレンドリーなので私たちの存在に気がつくと手を振って挨拶をしてくれた。知り合いでもないけれど、こういったフレンドリーさはドイツ人の良いところでもある。ドイツ人はお互いの機嫌さえ良ければ停留所で鉢合わせた行き当たりばったりの一期一会な赤の他人でも小さなきっかけ次第では小話を咲かせることができる。ドイツで暮らしていて良いなと思う点はまさにこういう時である。

私の夫が建物から出てきたとある若者に声をかけた。「この建物はアート協会みたいな看板がかかっているけれどもここはどんな建物なのか興味がある」と。これはまぁよくある停留所の小話の話題の切り方である。相手に興味があることをダイレクトに伝えるのは一番重要で効果的なのだ。するとその若者は色々と説明をしてくれたらしいが私は猫に夢中だったので二人の会話はあんまり覚えていない。猫と遊んでいた私に夫が大きな声で「中を見せてくれるって!」と言ってきたのでその若者と私は握手と自己紹介を交わした。建物はボロボロなんだかこれがアートなんだかよくわらかない、といった佇まい。アーティストが集まればこうなるよ、といった良い見本のような建物だった。ギャラリーがあって音楽室があって...と色々と案内を聞いていると夫が若者に君は何をしているアーティストなの?と聞くと、僕は画家でここにアトリエがある。と返事を返してきた。するとすかさず夫はアトリエを見せて欲しい!と聞いてみる。もちろんそこはすごく丁寧なお願いのドイツ語を使って。ドイツ語というのはとても便利で、すごく丁寧な言い方というのがあってこういう時にはとても役にたつ。

彼のアトリエもよくあるアトリエだった。彼の作品が壁にいくつかかかっていて、新作はどこかのトリエンナーレに行くので梱包をする予定だと教えてくれた。もちろんその作品はメインの壁にかかっている。色々と会話を交わしたのだが、政治やこの街のことなのでここで特別書く必要もないような話題だ。

彼はこの街にある芸術大学で絵画を学び、今はそこで得たコネでいくつかギャラリーや展示会に作品を置いてもらったり買ってもらったりして生計を立てているという。しかし大学でアートを学んでしまったがために失ったものもかなりあるという。それはアートに対する自由な精神みたいなものだ。実際に彼の絵はスゴイな〜と一瞬思わせるような迫力はあるものの、それ以上の魅力を感じることが私はできなかった。なので彼とアートの話をすることができなかった。彼のアートに向けた言葉が湧いてこなかったのかもしれない。

アートに対する自由な精神、というのは呪いのようなものだ。彼のようにアーティストとして生計を立てるとなると、報酬とアートの関係は切っても切れなくなってしまう。その時点で一つの自由が失われてしまう。さらに大学で学ぶともなると誰かの評価や意見がひっついてくる。そして作り上げるという匠の領域にも手を出し始める。現代アートは職人技術があろうがなかろうが、そんなものはどうでも良い。陸上競技の選手が毎日体を鍛えあげて自己ベストを出すのと、画家が毎日一生懸命絵を描いたからといっていつの日か自己ベストならぬ傑作が誕生するわけでもない。なのに毎日一生懸命絵を描き続けることによって鍛錬されてくる技術と、それを必要としないアートを取り巻く環境というジレンマにかられる。

アートを作る人間は自由な精神を持つべきだ。というのは私の持論なので芸術大学で学ぶことを批判するつもりは毛頭ない。しかし、「なんのために?」「私は誰なの?」ということは大学では教えてくれない。

アーティストとはゴールのないマラソンを死ぬまで走り続けるようなものだ。それが有名になって歴史に名前が刻まれてしまったら、死んでも死に切ることができない。亡霊となって作品と一緒に永遠に生きるようなものだ。はたから見たらそれは栄光ある輝かしい人生かもしれないけれど、ゴールのないマラソンというのは想像を絶する苦しみと快楽がいつも背中合わせであるのだ。