ドイツでずっと暮らす

ドイツ移住の10年先、20年先を考える。



ドイツへ移住する人はそれぞれの理由があって日本からドイツへ渡るのだろうけれど、駐在さんや留学生の他にフリーランスや新しい生き方を模索する人にも最近はとても人気である。その理由はベルリンという独特な雰囲気と世界観を持つ街の特徴とも当てはまるであろう。しかしほとんどの人の根本的でかつ共通の移住理由、それは日本での生活が生き辛く感じることがあるからである。こればかりは個人差なのでそう感じないけど海外へ移住した人も中にはもちろんいるだろう。少なくとも私がドイツ移住組としてドイツで出会った人々の9割は日本で人生を全うするのに不安や不満を抱いていたり、満足していないという理由を持つ人だった。何度も言うが個人的な感想であり、私が出会った人という数少ない統計なのでそうじゃない人がいることは大前提である。

 

一番印象に残っているのは同世代の移住者、移住希望者が多いということだった。世代で言えば80年代生まれ。そして離婚を経験している人たちがとても多い。日本で一度結婚をして数年で離婚。その理由は本当に様々だが共通している点が一つ。結婚で幸せになれなかった、ということ。20代の頃に付き合っていた人とゴールインしたももの、仕事や生活を毎日こなしていく中で思ってた以上の達成感や自己満足を得ることができなかったという。そして海外旅行などで外国の文化に触れ、インターネットの普及で海外移住へのハードルが下がり、夫婦の価値観や人生観にズレが生じて離婚。色々な条件が重なった時、彼女彼らは「私はこのままで良いのだろうか?」と自問したときtお「いいえ、このままではきっと後で後悔する」という答えにたどり着いたという。それからは急展開で貯金残高の確認、退職届、離婚、移住、、、、となる。

 

ー私はこのままで良いのだろうか?ーという自問に対しどれくらいの人々が自分らしい答えを導くことができるのだろうか?この問いに正解がないのは一目瞭然だ。なぜなら自分の人生なのだから自分が正解だと思うものを選べばよいのである。しかし人生を生きるというのは酷なもので、個人の人生の中には両親の介護や夫の世話なども含まれているのである。ドイツで暮らしながら思うのは、親の面倒を子供が見るという方程式が人権というか一人の人間の人生を好きなように生きる、という権利の領域からはみ出ているのではないか?と私は常々思うのである。

 

人生を好きなように生きる。これができなければ何も始まらない。そして「好き」という自分の心の声に鈍感な人々が多く、何が好きなのかわからないという不感症丸出しの人も少なくないだろう。彼らが不感症になってしまった原因は様々だ。特に私のような世代の人々は立派に大学を卒業して就職して結婚、出産、マイホーム、孫、みたいな理想とされる人生のマニュアルみたいなのがインプットされているようである。誰かがそうしろ、と命令するわけでもなく。けれど実際に多くの私たち同世代の親たちは正社員、正規雇用じゃないとダメ、みたいな価値観を持つ人がとても多い。実際に安定した収入がないということは日本で暮らしていく上で弱者となる。それゆえに収入=幸福な人生、と思い込みがちだ。けれどそれに対して矛盾を感じ始める人がどんどん出てくる。お金があっても幸せにはなれないのは、今でこそ理解しようと思えば誰でも理解できるし、反論しようと思えばできる。結局のところ、自分自身がこれで良いのだという決定を下すことが何よりも大切なのである。私が言いたいのは、ーこれで良いのだという決定を自分自身で下すことーこれだけである。大切なことで2回書いた。

 

実際に自分で良いという判断を下しても、それについて回るものがとても多い。見栄とか人付き合いとか家族からの批判とか、社会保障を満足に受けることができないとか。社会保障に関しては日本という国はとても劣っている。このテーマは政治的になるのと私の管轄外なのでここでは割愛。自分が下した判断でついて回るもの、経歴や持ち物でその人の価値を測るということとも言える。東京のような大都市で育ったらそうでもないが、田舎や家族単位を異常に大切にする環境で育った人になら理解しやすいだろう。自分がどんな職業に就くか、誰と結婚するか、どこの大学出身かということで人間をランク付けする風潮が強く根付いてる。東大を出たから立派という価値観はさすがに若い人にはこういった価値観はもう無いだろうとは思う。しかし少子高齢の社会となっては若者は常にマイノリティーということを忘れないでほしい。いつまで経っても老害と呼ばれる老人たちの価値観が世間を支配しているようなもの。だからいつまで経っても正規雇用こそが全てのような価値観が蔓延しているのである。

 

海外移住希望者が目先の欲にかられて、色々なことを見落としがちなのが海外へ移住したらかっこいいからという見栄である。最近の移住ブログには見栄満載の意識高い系の勘違いブログが多くて吐き気もするがそういうことは日本でやってろ、といったところだ。 見栄で固めた人生も嘘で固めた人生も結局のところ、それらは全部他人の評価といういつでも風向きが変わるものに翻弄されながら生きなければなら無い。そんな人生、どこに実が成るのだろうか...

 

自分という人間と、その人生。だれかの評価は必ずしも必要ではない。評価というのはただのツールにしかすぎないのである。

 

 

 

とある画家との出会い

私が住んでいる街にはなかなか有名な芸術大学があってそこの卒業生には超有名な億万長者がいっぱいいる。その大学出身の画家さんと出会う、というかナンパする?というかアトリエに押しかける?...という出来事があった。

先日散歩がてら近所をうろうろしていたら芸術家協会とそのアトリエという看板がかかった建物を見かけた。入り口のところに鯖柄の猫が居たので全力でモフモフしていたら、中から数人のアーティストらしき人々が出たり入ったりしていた。彼らはとてもフレンドリーなので私たちの存在に気がつくと手を振って挨拶をしてくれた。知り合いでもないけれど、こういったフレンドリーさはドイツ人の良いところでもある。ドイツ人はお互いの機嫌さえ良ければ停留所で鉢合わせた行き当たりばったりの一期一会な赤の他人でも小さなきっかけ次第では小話を咲かせることができる。ドイツで暮らしていて良いなと思う点はまさにこういう時である。

私の夫が建物から出てきたとある若者に声をかけた。「この建物はアート協会みたいな看板がかかっているけれどもここはどんな建物なのか興味がある」と。これはまぁよくある停留所の小話の話題の切り方である。相手に興味があることをダイレクトに伝えるのは一番重要で効果的なのだ。するとその若者は色々と説明をしてくれたらしいが私は猫に夢中だったので二人の会話はあんまり覚えていない。猫と遊んでいた私に夫が大きな声で「中を見せてくれるって!」と言ってきたのでその若者と私は握手と自己紹介を交わした。建物はボロボロなんだかこれがアートなんだかよくわらかない、といった佇まい。アーティストが集まればこうなるよ、といった良い見本のような建物だった。ギャラリーがあって音楽室があって...と色々と案内を聞いていると夫が若者に君は何をしているアーティストなの?と聞くと、僕は画家でここにアトリエがある。と返事を返してきた。するとすかさず夫はアトリエを見せて欲しい!と聞いてみる。もちろんそこはすごく丁寧なお願いのドイツ語を使って。ドイツ語というのはとても便利で、すごく丁寧な言い方というのがあってこういう時にはとても役にたつ。

彼のアトリエもよくあるアトリエだった。彼の作品が壁にいくつかかかっていて、新作はどこかのトリエンナーレに行くので梱包をする予定だと教えてくれた。もちろんその作品はメインの壁にかかっている。色々と会話を交わしたのだが、政治やこの街のことなのでここで特別書く必要もないような話題だ。

彼はこの街にある芸術大学で絵画を学び、今はそこで得たコネでいくつかギャラリーや展示会に作品を置いてもらったり買ってもらったりして生計を立てているという。しかし大学でアートを学んでしまったがために失ったものもかなりあるという。それはアートに対する自由な精神みたいなものだ。実際に彼の絵はスゴイな〜と一瞬思わせるような迫力はあるものの、それ以上の魅力を感じることが私はできなかった。なので彼とアートの話をすることができなかった。彼のアートに向けた言葉が湧いてこなかったのかもしれない。

アートに対する自由な精神、というのは呪いのようなものだ。彼のようにアーティストとして生計を立てるとなると、報酬とアートの関係は切っても切れなくなってしまう。その時点で一つの自由が失われてしまう。さらに大学で学ぶともなると誰かの評価や意見がひっついてくる。そして作り上げるという匠の領域にも手を出し始める。現代アートは職人技術があろうがなかろうが、そんなものはどうでも良い。陸上競技の選手が毎日体を鍛えあげて自己ベストを出すのと、画家が毎日一生懸命絵を描いたからといっていつの日か自己ベストならぬ傑作が誕生するわけでもない。なのに毎日一生懸命絵を描き続けることによって鍛錬されてくる技術と、それを必要としないアートを取り巻く環境というジレンマにかられる。

アートを作る人間は自由な精神を持つべきだ。というのは私の持論なので芸術大学で学ぶことを批判するつもりは毛頭ない。しかし、「なんのために?」「私は誰なの?」ということは大学では教えてくれない。

アーティストとはゴールのないマラソンを死ぬまで走り続けるようなものだ。それが有名になって歴史に名前が刻まれてしまったら、死んでも死に切ることができない。亡霊となって作品と一緒に永遠に生きるようなものだ。はたから見たらそれは栄光ある輝かしい人生かもしれないけれど、ゴールのないマラソンというのは想像を絶する苦しみと快楽がいつも背中合わせであるのだ。

 

ベルリンの変化を感じるあれこれ

私はずっとベルリンで暮らしていたのですが訳あって今年になり他の小さな町に引っ越しました。引っ越しというのは面白いもので以前暮らしていた街と今の街を比べる、という心理が働くものです。

ベルリンではもうウン何年と暮らしていたのでたまにこの年数にビビります。そしてベルリンの変化の速度があまりにも速すぎて、こちらもビビります。つい最近まで空き地、廃墟だったのが半年もすればラグジュアリーな高級マンションが建っていてあっちこっちではショッピングモールが建ち並んでいます。私が移住したてのころはAlexanderplatzのALEXAというショッピングモールが唯一の巨大モールでした。今はビキニやらなんやらと本当に信じられ無い数のショッピングモールが建っているのに驚き、人々の服装が小綺麗になったのに驚き、飲み屋が連立していてガヤガヤして週末はシャブ中だのアル中だの娼婦だのとカオスだった通りはすっかりシーンと寝静まっているその様子は本当にここはベルリンなのか...と驚きを隠せません。そして何よりも私たちの自由の砦だったタハレスの建物にクレーン車が入り大きなユンボでタハレスの壁をぶち壊している姿は、まるで私の体と心を資本主義が容赦なく切り刻む痛みを覚えたものです。

 

タハレスだけでなくFreidrichshainのとある川辺には資本主義と戦う人々が作ったコミューンがありました。ドキュメンタリー映画にもなるほどで、たまに警察と衝突したり話題にあがることが良くあったのですが、彼らは今頃どうしているのでしょうか。こないだ前を通りかかった時は規模が縮小されたのかスクワットをする人々が減ったのか、人々の声や姿も見えずにただのゴミの山のようでもありました。こういうスクワットはベルリンのあちこちでよく見られました。空き地や廃墟に皆それぞれ勝手に集まり友達になり、気が付いたらどこかへ旅立って居なくなる、みたいな生き方をしている人たち。本当に好きなように生きる、ということの見本のような人々でした。彼らの生計がどのように成り立っているのかはブラックホールなみの不思議とも言えます。しかしそれも彼らの一つの魅力であり、その反面では資本主義社会の犠牲者とも言えます。ベルリンの壁が崩壊すると同時に資本主義が入ってきて、それをよく表しているストリートアートがちょうどこのスクワットの近くにあります。

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ベルリンには自由がありました。誰がなにをしていようと、シャブ中だろうがアル中だろうが、どんな生き方をしていようがそれを注意したり、干渉する人はほとんど居ませんでした。逆にオルタナティブで刺激的な人生を生きている人の方に魅力を感じる人々が集まっていたのかもしれません。そこには生きるという本質とはどういうことなのかということが詰まっていると私は思うのです。人間の自主性とは自分で気がつかないと何にも成らないので...今のベルリンの姿には時々失恋のような悲しみが湧き上がります。スマホゾンビにノマドな人たち。彼らのことを批判するわけではないけれど、彼らがネットで口々で言う、クールな生き方は生ぬくるて仕方がないのです。どこからか引っ張りだしてきたような言葉や表現にはリアルが全く反映されてなく、ファストファッションのようにクールでオルタナティブがプリントされているだけのような生き方。そんな人々がベルリンの街を変えていき、資本や物質で満たされる人々が我が物顔で自分達の税金で街が綺麗になったと言うのです。私たちは綺麗な街など望んでません。ただそこに、私が見つけた自分という生き方とそのための自由があるかどうかだけ。ベルリンが終わった、というのはもうそこには小さな自由がちりばめられていてそれらは誰かの自己啓示欲を飾るアクセサリーのような自由。それでもきっとわずかながらクリエイティブな影響もあってかベルリン自体はそうそう他のドイツの街のようになることはまず無いとは感じます。しかしそのクリエイティブの源泉が失われてしまったベルリンの街に期待することはもう無いかな、と個人的に思います。そんな中で私自身も自分の人生を街に依存し無いという意味では良い試練でもあるのです。

 

プラハの中心地で車が無くなるという事件

プラハへ車で日帰り旅行、そして車を警察にレッカーされるという出来事がありました。

 

寝起きの思いつきでプラハへ出発し、ドイツとチェコの国境を越えた瞬間に交通ルールとドライバーのメンタリティーが全然ちがうことに驚きます。ドイツならきっと怒るであろう小さな出来事もチェコならそれがコメディに感じられ笑うことができるのです。

 

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曲がってしまった標識。チェコには至る所に曲がったり、車両が突っ込んだ痕などがあるのも面白い。

私と夫はのんきにチェコ人って面白い運転のしかたするよねぇ、とか地形がドイツとはやっぱりちがうよねぇなんて言いながらプラハへ到着し市内の駐車場に車を止めて、駐車チケットをちゃんと買って、観光へでかけました。

真夏日、観光名所、人ごみ、ということで2時間もしないうちにギブアップ、どこか自然のある街に逃げようと駐車場へ戻ると、私たちの車がありません...車が、ない。ここに停めたはずなのに、他の車が止まっているではないか...大パニックを起こし目の前にあった大きな建物の中に飛び込み、誰か助けて〜と右往左往するも老人ばかりで英語もドイツ語も通じず、これじゃらちがあかないので道端に座り込んでアイスを食べていた若いカップルに話しかけると男性がドイツ人だったので警察に電話をした方が良いねと教えてくれました。警察に電話をしてみると私たちの車が見つかりました。警察は、理由はわからないけどあなたたちの車はどこどこの管轄で預かっているのでそこまで取りに来てくださいとのこと。理由はわからない!っておい、警察、ふざけてるのか?!と言い返したくなるのを我慢し、多分ただの電話番なのだろうと思い警察署へ向かうことに。

 

これが詐欺やただの嫌がらせの可能性もあるので警察へ向かう前にプラハのドイツ大使館へ連絡し事情を説明し、警察ではどのように態度を振舞えば良いのか、罰金やチェコの交通ルールはどうなっているのか、などなどを教えてもらいました。大使は第一声に、「残念としか言えないのですよ、たくさんのドイツ人が同じようなケースで車をレッカーされているので」と言い、市内での駐車ルールを教えてくれました。本来なら出かけてくる前に予備知識として頭に入れておくべきことなのだと大反省。スペインに住んでいる友達が似たような体験をスペインですることが多く、その理由は警察が自分のおこずかい欲しさに理由もなく違反切符を切ったりするという話を聞いたことがあったので、もしやチェコでも?!と思った私が夫に大使館へ連絡するように勧めたのです。

 

警察に到着すると私たちの車がまるで監獄に閉じ込められているかのように、鉄格子のフェンスの向こうに停まっていました。窓口に座っていたのは口の周りをチョコレートの染みがぐるっと囲っている太った男。罰金は2150csk、86€ほど。色々と手続きを終えた後にそのチョコレート男が言ったのは、「僕はただの窓口だからこんなことが言えるけれども、毎日のようにドイツ人の車がレッカーされて罰金を支払わされているし実際にドイツ人がお金持ちという偏見でむやみにレッカーする同僚を知っているし、僕はそのことについてとても心を痛めている...」私と夫は同時に愕然、言葉を失うしかありませんでした。

 

国境がないということは本当に素晴らしいことです。誰でも自由に行き来し商売したり、観光したり。けれどやはり国と国をまたぐとそこには別世界が広がっていて、貧富の差のヒエラルキー、差別、偏見、国の違いはなかなかその境界を超えることができないというのを身を以て体験しました。それは私たちがドイツに住んでいて東欧の国々からしてみれば経済的に豊かな国で、政治の腐敗も少なく警察も庶民の味方であるということだけでも十分に人の妬みをかう理由になりうるということも。警察が嫌がらせを庶民にする、というのはドイツでは考えられないことですが、実際にイタリア、スペイン、ギリシャでは腐敗した政治とその犬、と例えられるほどでそれらの国に住む人々は警察は庶民の敵、と口癖のように言います。私は日本で育ったので警察は庶民の味方で正義という思い込みがとても強いですが、ドイツ人の夫も私と同じように警察は悪い奴、庶民に嫌がらせをするというのはなかなか信じがたいのです。

 

結論からすれば、私たちが駐車したゾーンはチェコナンバー専用でそれ以外は問答無用で駐車禁止とのことで私たちが悪いので今回の罰金は授業料だと受け止めることにしました。しかし最後のチョコレート男の言葉が私たちをなんとなくモヤモヤさせるのです。

 

私と夫は旅行ひとつしてみても何だか奇妙な出来事が起こる星というのを持っていて、特に夫の方はその磁力がとても強く私と夫が二人で遠出しようならば、韓国では犬料理店で犬を締める場面に遭遇したり、ギリシャでは乗っていた市営バスが道に迷ってしまったり、ブルガリアでは携帯を4つ同時に操作する運転手が山道の崖をマニュアルで運転してリアルジェットコースター以上の恐怖を体験したり、とにかくまぁ数え切れないほどの不思議な出会いと体験が色々と待ち受けているのです。にもかかわらず、私と夫は出かけるのが大好きで、7月の頭からは10日間ほどヨーロッパツアーに出る計画を立てています。さて、次はどんなことが待ち受けていることやら...

ヨゼフとキャンピングカー

赤の他人のキャンピングカーに、コーヒー飲むかい?と誘われる出来事がありました。それはキャンプ場での出来事でもなく酔っ払った勢いでもなんでもない、昨日までは赤の他人だった、たまたま車中泊した場所で隣に停まっていたキャンピングカーの主人が 朝起きたら私たちを朝食に誘ってくれたのです。主人の名はヨゼフ。何十年も前にチェコから移住してきたドイツ人です。

 

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私たちの車は普通の乗用車だけど後部座席を取り外しそこに寝袋を敷いて寝泊まりをしながら旅をしていました。旅といっても聖霊降臨祭の連休中に予定もゴールも決めずに、とりあえず晴れている場所に行こうということで自宅を飛び出しました。毎年この連休は天気が崩れることが多く、今年はベルリンでひどい暴風雨があったそう。最初の1日目はドイツの真ん中らへんにあるHarzという森で車中泊をし、次の日天気が良さそうな北の海辺へ出発しました。コーヒーと朝食をご馳走になったのは、最終日の海辺で出会ったキャンピングカーのご主人、ヨゼフでした。

 

日暮れ近くヨゼフたちのキャンピングカーの近くに私たちの車が停車し、私たちが忙しそうに荷物を積み直したり色々と何かをしているなぁと観察していたんだそう。そしてそのまま日が暮れて私たちが車の中で寝泊まりをしている、と気がついた時にヨゼフはなかなか勇気のある人たちだなぁ、と思い朝食に招待することにしたんだと言っていました。ドイツではキャンピングカーはとてもポピュラーなものでバンやワゴンをDIYして車中泊するのは珍しくないけれど、さすがに乗用車でする人は少ないのかな。ドイツ人は体格が大きめだからまず入りきらないだろうし...

 

朝食はドイツ式でキャンピングカーの中にはもちろんガスキッチンが装備されていてそこでヨゼフの奥さんが茹でたまごを作ってくれました。車で走っているとこの時期は特にキャンピングカーをとてもよく見かけるので中はどうなってるのだろう?と興味深々だった私たちにはまるで夢のような時間でした。

 

ヨゼフはチェコで生まれ育ったドイツ人でその奥さんはポーランドからドイツに移住してきたそうで、もう何十年もドイツで暮らしているので二人ともドイツ語がとても堪能でした。彼らは音楽が生業でもう若くないので色々のんびり旅をしながら暮らしているんだそう。彼らは 東欧の国からやってきたので、たまに西欧の人々の資本主義てきな考え方や価値観に驚くことが多く、そればかりはいくら年を取っても慣れないと言っていました。私たちも似た様な考えを持っているので会話はとても楽しくて、この人たちとは年齢が離れているけれど波長が合う心地よさを感じました。

 

それからヨゼフと奥さんは夏に一度、自宅に遊びにおいでと言ってくれて私たちは来月に一度彼らの自宅へ遊びに行く予定を立てています。

 

車中泊はなかなかしんどいです。天気が悪ければ車から出ることはできないし、私有地で泊まるわけにはいかないし、駐車場は若者がたむろしていたりと色々と寝床に困ることが多くそのことで夫と私は幾度も言い合いをしました。最終日にヨゼフの隣に決めるまでいくつもいくつも転々としながらやっとそこにたどり着いたのです。そして赤の他人に朝ごはんを招待してもらうという素敵イベントが発生し、この夏の楽しみがまた一つ増えました。

ずっと暮らすということはずっと生きるということ

私の年齢は34歳なのですが、毎日のように死ぬことについて考えます。それは夫や飼っている犬の寿命のことや、自分が死ぬことを考えるのです。夫や犬が死んでしまったらとても悲しくて立ち直れる自信がないけれど、自分が死ぬのはまた違う次元の問題です。

 

20代の頃はいろいろと迷いがあったので、どうやって生きていこうか、という問題が解決できませんでした。けれど28歳のときにベルリンへ渡ってから何度かくじけそうになった事はありましたが、それでもなんだかんだ芸術家を続けています。東京で暮らしていたときに数年のブランクはありますが、それを除けばほとんどの時間をアートに費やしています。それが金銭的な価値に置き換えられているかどうかは置いといて...

 

私がアーティストとして成功しているかどうか、というのはそれぞれの判断基準によります。例えば私のお父さんからしてみれば、収入が不安定でほとんどが赤字のフリーランス業みたいなものなので成功しているようには映りません。けれど私のマネージャーや夫は、私が作り上げるアートの世界を一番近くで見ている人なので、私のアートは成功している、と言ってくれます。その理由は毎日、アートのことだけを考えれば良い生活を送っているということ。

 

先日、私の作品に新しいお客さんと値段がつきました。作品が未完成だったのにもかかわらず値段がついたこと、その値段に私が納得できなかったこと、その交渉をしたマネージャーが思ってた以上に私のことを理解していなかったこと、この3つの点が納得できずに私は怒り狂いました。数時間フツフツと怒りと向き合ったり、完成させたくない!と反抗期みたいな態度を出したりしたあげくに、収集つかなくなった感情はとうとう破壊行為へ向けられました。3つも私の納得ができない事柄、その根本がこの作品にあるのなら壊してしまおう。お客さんへの説明はマネージャーの仕事です。私も悪いので説明するべきでしょうが...悩みどころです...しかし本当の地獄はここからが本番でした。壊れた作品、怒りの心境、それらを全てなかったことにはできないのです。そこから何かを一つでも良いから汲み上げて次へつなげないと何にもならない、ということを知っているだけに次へ進むためには、深く負った傷にとても痛い消毒スプレーをかけて手当てをする段階が一番辛いのです。怒り狂ったので3日間ほど鬱々と過ごし頭が四六時中ぼーっとして何もする気が起きませんでした。しかも壊した作品はシリーズモノだったので次にかかる予定の作品がいくつもあり、それらを考えるだけでイライラしてアトリエに座り続けることすらできませんでした。アートが私をイライラさせるのです。

 

そんな怒りと鬱から抜け出すのを手助けしてくれたのも、アートでした。美術館の売店へ画集を買いに行ったときに現れた様々な美術品たち、いろんなところで模様されている現代作家の展示会...私はこんなちっぽけなことでつまずいている暇は無いのだと、他人の作品を通して自分自身を見つめ直すことができたのです。それでも天邪鬼なのでずっとイヤイヤを繰り返していましたが、自分のアトリエをふと観察していたときに気がついたのです。私は、ずっとこうやって生きていくんだな、ということに。

 

私の職業は寝ても覚めてもずっとアート漬けです。だからたまにお医者さんが必要なときがあります。だから私は毎日、私はいつ死ぬのだろう?と考えてしまいます。私の仕事には定年もなければアフターファイブもありません。

 

ゲルハルト リヒターという億万長者のドイツ人アーティストが居ます。彼が触ったモノ全てが高額で取引される、と揶揄されるほどの人です。私にはリヒターの心の叫びが聞こえてきます。辞めたいのに、辞めれない。アートはシャブ中みたいだ。と。

 

アーティストとして暮らすということは、死ぬまでずっとこうやって生きることなのです。

 

 

現代アートは難しくないことについて

日本ともゆかりのあるとても面白いドイツ人アーティストが居ます。先日訪れたライプチヒの美術館で彼の作品を観ることができて嬉しかったので、今日はアートをテーマに書いていきます。私自身が芸術家なのでアートの話になるとくどくなりがちですが、現代アートとは?どうやって鑑賞すればいいの?という疑問について、一人のドイツ人アーティストを通して紐解いていきたいと思います。

 

現代アートはとても簡単

 私は個人的に現代アートを観ることができる人はダウンタウンのごっつええ感じで笑うことができる人、という風に考えています。 現代アートはヘンテコでおかしいものが多いので、面白いって感じたら笑えば良いし、気持ち悪いって感じたらオェ〜って言っても良いのです。

私は個人的に現代アートは未来の人類の姿を投影していると考えます。

印象派の画家たちが様々なルールを破って自分らしさや自分という人間のアイデンティティーを作品に投じたのと同じように、現代アートは未来の人々の新しい価値観を映し出しています。

インターネットやスマホの普及で人々のライフスタイルは大きな変化の渦の中にいます。そしてどんどん時代は個人へと向かっていきます。そうなると、人々の価値観の違いにも大きな差ができます。今までの比ではないくらいに。 なので現代アートを理解できないというのは一つの意見でもありますが、それは"スマホを使いこなせない"というのと同じものだと私は個人的に思うのです。

 

  現代アートを紐解く

 現代アートを紐解いていくのには塩梅の良いドイツ人の有名アーティストが居ます。

名はジョナサン・ミース

日本語だとミースと表記されてますが、ドイツでは”メーゼ”と呼ばれています。彼は日本生まれで、2005年の横浜トリエンナーレにめちゃ爆笑な作品を出展してました。私はそこで初めてメーゼの作品と出会います。写真と映像のコラージュ、ペイントと日本のめかぶをあっちこっちに撒き散らした、なんとも言えない爆笑な作品。今でも鮮明にあの撒き散らされたメカブを覚えています。私もメカブが大好きです。そしてメーゼが横トリで現代アートを使って日本に殴り込んできた!という衝撃。

2008年の横浜トリエンナーレの批判はとても酷いものでした。ヨーロッパで主流の現代アートを一気に日本に持ち込んだはいいものの、当時の日本ではそれらを評価する知識と見解を持ち合わせていなかったのです。その3年前にはアートサーカスというテーマで、テーマパークのような作品が多く私自身もディズニーランドの延長みたいなノリで楽しんだのを覚えていただけに、2008年の横トリは暗くて意味不明で難しくてすぐに理解できるものではなかったのです。

 

 ライプチヒ美術館の魅力

 さてこのメーゼの作品がライプチヒ美術館に展示されています。

ドイツは美術館や芸術家をとても大切にします。しかし州によって経営状態が異なるので美術館を見ればその州の経済状態がわかるとも言えます。例えばフランクフルトの美術館は壮大で高額な作品がゴロゴロしてます。派手でセキュリティも厳しくカフェテリアや売店一つとっても規模が大きいです。それに比べてライプチヒは庶民的。建築が好きなひとには面白い箱ですが、中身の作品は素朴なものが多い印象です。イベントも庶民的で美術館の展示室の中に椅子を並べて誰かがアートについて喋ったり、音楽を聴いたりするイベントが毎週のように行われている様子でした。

 

このライプチヒの美術館にメーゼの作品が展示されています。

彼の得意とする写真やゴミを使ったコラージュとらくがき。そしてどう見たってゴミというかホコリの塊みたいなのを盗まれないようにちゃんと囲いをしてあるのです。

これがライプチヒ美術館の面白いところ。ゴミだけどアートという価値がついた、誰かがゴミに多額な金額として価値をつけた、という典型的な現代アートの象徴です。そしてそれらを尊重し美術品として展示する。美しさや優れた技法がアートの全てではない、ということをライプチヒ美術館で感じることができます。

 

 芸術家はドイツではゴシップの対象

メーゼはドイツではなかなか有名です。他にも億万長者の有名なアーティストはたくさん居ますがメーゼは色々とお茶の間を騒がせるとても面白い人間でもあります。

例えばドイツでは法律で禁止されているヒトラー式の挨拶、右手を斜め45度にビシっと挙げて、ハイル、ヒットラー!と叫ぶ敬礼みたいなのがあるのですが、これはヒトラー崇拝禁止、ナチス時代の悪しき過去として現在のドイツでは法律で禁止されています。その挨拶を、アートのパフォーマンスの一環として公衆の面前で披露し逮捕され裁判沙汰になりました。判決は130万円ほどの罰金を支払うという命令が下されましたが、ドイツのアート界ではまたメーゼが何かやらかしたぞ、という興味とゴシップで楽しませてくれました。

メーゼは数年間ドイツの美術大学で教鞭をとります。ドイツの美術大学の教授になる、ということはアーティストとしては大出世です。多額なお給料に名誉が保証されたようなもの。けれどメーゼは数年経ったあと辞めてしまいます。その理由は彼の作品を見れば感じることができます。

 

 最後に

アーティストとして生きるということは、社会との折り合いをつけるか、それとも社会不適合者として自分の道を進み続けるのか、という葛藤がつきものです。

しかしメーゼの作品を見るたびに、あなたはそのまま好きなように生きればよいのだよ、と語りかけてくれます。

横浜トリエンナーレで出会った時、私にとってメーゼは外国の遠いアーティストのように感じていました。けれどメーゼは普通にベルリンでフラフラ歩いているし、ドイツで暮らすようになってから芸術家と社会はしっかりと繋がっているんだと実感するようになりました。そういう意味では芸術家は社会不適合者ではありません。そして現代アートは生活のすぐそばにあるということをみんなに知ってもらいたいと思うのです。

アートは生活を豊かにしてくれる、とても素敵なものなのです。